朱優mamaほのぼの日記 ★ 可愛い兄弟&天使になった娘との愛情いっぱい日常生活

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syumama

Author:syumama
2004年 6月 ゆう誕生
2006年10月 しゅう天使に
2007年10月 ゆら誕生
2009年11月 ゆま誕生

27歳で結婚して、
妻になり主婦になり母になり、
命の輝かしさ・尊さ、
子どもたちへの愛を
実感する毎日です。

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2006.10.30 (Mon)  ☆ ご近所散策

週末からご近所散策にはまっています。
引越ししてすぐに里帰りしちゃったから、 まだ家の周辺のことを何も知らないのです。
やっと歩き回れるようになったし、お天気も良いのでユウを連れて行ってきました♪

まずはマンションの近くに月・水・金だけ売りにくる八百屋さんで、
大量の野菜を購入。スーパーよりずっと安い! きゅうりなんて7本で100円!!
(でもこれは勢いで買ってしまって後悔。実際こんなには使えない・・・。)

買ったものをそのまま預かってもらい、散策開始。
今日は歩いて5分の「ぎんなん公園」に行ってみることに。
その途中、住宅街に小さなお花屋さんも見つけました。
これでシュウちゃんのお花も安心。

「ぎんなん公園」は大きさも遊具もユウ好みな感じ。
その名のとおりイチョウの木がたくさんありました。ちょっと来るにはちょうど良さそう。
たっぷり1時間ほど遊んで来ました。
それにしてもこの辺は素敵な戸建がいっぱいで目の保養になります。
まあうちにとっては一生夢のままだろうけど・・・。

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話は変わって、本日とても嬉しかったこと2つ。
1:妊娠前のジーンズがはけるようになった。(これまで着る物がなくて大変だったので。)
2:ユウがみかんを食べられるようになった。
(ぶどう・バナナに続いて3つ目の果物デビュー。これで手軽にビタミン摂取可能だ!)

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2006.10.30 (Mon)  ☆ 後悔

起きてしまった事は変えられないけれど、
もう一度戻れるなら、お腹の中のシュウにいっぱい話しかけます。
お兄ちゃんも大事だけれど、同じくらいお腹のシュウも大事。
失うまで、それが分かってなかったと反省しました。

切迫で入院した時、ユウを想って泣いてばかりの私に看護婦さんが言ったこと。
「お腹の子もあなたの子なのよ。今この子を守れるのはあなたしかいない。
お兄ちゃんは赤ちゃんが無事生まれてから、めいっぱい可愛がってあげなさい。
でも、今はお腹の子の事を考えてあげて」

後からこの言葉思い出すたびに苦しかった。シュウちゃん本当にごめんね。

妊娠してから朝がすっかり弱くなって、
里帰り後は寝付けなくて夜更かししては、お昼近くに起き出して。。。
だから健診はいつも午後にしていた。
もし午前中にしていたら?シュウちゃんのこと助けられた?
悔やんでも悔やみきれない思いです。

シュウが亡くなった前の日、そろそろ出産が近づくから、
また入院する前にユウにサービスしたくて、
立川からモノレールに乗って終点まで行き、また戻ってきて、
親にお土産のケーキを買って、バスに乗って家まで帰って。。。
ユウと2人デート気分で、それはそれは楽しい時間だった。
家に着いたら夜、お腹がしくしく痛くなって、明らかに前駆陣痛だったけど、
2人目なのにフライングしたら恥ずかしい・・・と、散々迷ったけど我慢した。
あの時病院に行っていたら?

いつもいつも決まってお臍の右上ぐらいにシュウの足を感じていました。
でも、それ以外はあまり胎動がなかったような。。。
友達が妊娠後期に赤ちゃんが横位になって、
でもまだぐるぐる動いているから戻るかも・・・なんて話をした時に、
ふと、「そういえばこの子、ぐるぐる動くことがないなぁ」と思ったのに、
それ以上深く考えなかった私。もしその時に先生に相談していたら?

どんなに後悔しても、もうシュウちゃんは戻って来ないのです。
本当に本当にごめんね。


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2006.10.28 (Sat)  ☆ シュウのお寺

今週末は土日共にパパはお仕事。
今日は良いお天気だし、ユウの風邪も落ち着いたし、
明日の天気は雨らしいので、今日のうちにユウとお出かけすることに。

まずは、シュウちゃんのお骨を預かってくれそうなお寺の下見へ。
お骨が手元に来た時は、ずっと側に置いておきたいと思ったけれど、
最近になっていろいろ調べたら、 やはりきちんと納骨してあげるべきなのかなと・・・。
でもお墓はないし、両家のお墓もとっても遠い。将来転勤の可能性もあるので、
家の近くで一時預かりをしてくれるお寺を探そうと、パパと話し合って決めました。

そこで、家から歩いて15分のところにある 「観音寺」というお寺に行ってきました。
私たちが着いたら、住職さん・奥様・娘さん・お孫さん、みんなで出迎えて下さいました。

住職の娘さんも、やはり出産前に2人のお子さんを亡くされ、
その子達の分も・・・と思って、今は4人のお子様のママだそうです。
いっぱい話を聞いてくれて、一緒に泣いて下さいました。
住職さんには、お骨は49日までに預けるのが本当はよいけれど、
小さいし子だし、私の気持ちもあるだろうから、
100日ぐらいまでに考えればいいのでは・・・と言われました。

ずっと考えたくないと思っていたけれど、 本当にみんな優しい人たちだし、
子どももたくさんで賑やか。 ここだったらシュウちゃんも寂しくないだろうな・・・。
同じような天使ちゃんも何人かいるらしく、お友達もできるかも。
今日実際に行ってみて少し安心しました。
年越しは一緒にして、その後前向きに考えようと思います。

今日はそのままバスに乗って東急へ。
去年のがほとんど小さくて着れなくなったため、
ユウの秋・冬服をたくさん買い込み、 シュウちゃんにもお花を買って帰りました。

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2006.10.25 (Wed)  ☆ 久しぶりの看病

数日前から風邪気味だったユウが、
今朝突然大量に吐いたので、パパに午前休を取ってもらい病院へ。
最近流行りはじめたノロウィルスによるお腹の風邪らしく、
座薬を入れて様子を見ることになったけれど、
とにかく吐いて吐いて吐きまくりで、
ユウも私も3回着替え、シーツも2回取替え、
4回も洗濯するはめになりました・・・。恐るべしノロウィルス!

それにしても、ユウは昨年の9月に脱腸で入院して以来、
発熱すらない健康優良児で、本当に久しぶりの看病でした。
ぐったりしている姿は案外可愛く、本人もすっかり赤ちゃん返り。
久々に親子ベッタリな1日でした。

横浜に戻ってからの私は、暇な時間がとってもいやで、
いつも誰かに一緒にいてもらっていたし、
ユウも久しぶりにお友達と遊べる生活を楽しんでいましたが、
そろそろ少し休憩しなさいということなのかな。
今週はおとなしくしていたいと思います。

ちょっと理解不可能なのが、パパも昨日から風邪気味・・・。
「ユウのがうつったんだ」と、本日自分も診察されていましたが、
私の方がずっと一緒にいるのよ!!と言ってやりたい。
男の人って本当に弱いなあ。

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2006.10.20 (Fri)  ☆ シュウを連れて

シュウを産んで、1ヶ月健診までは実家にいるつもりでした。
でも、週末に来てくれるパパの様子が何だかおかしい。
いつもは本当にタフで、感情のぶれがほとんど無い人なのに、
「いつになったら帰ってくる?」とか、「おまえはユウがいていいなぁ」とか、
「何を目標に横浜でひとりで居ればいいのか分からない」なんて言っている。
パパが弱音を吐くなんて、本当に本当に珍しいこと。

パパは悲しくても全然平気な振りをして会社に行かなければならないし、
会社ではみんなに「奥さんを大事にしてあげろよ」なんて言われているらしい。
私は私で、実家で両親や弟に囲まれて、気持ちは紛れるものの、
本当の感情は出せなくて、ひたすら強がって泣かずにいた。
両親も明るく振舞ってはいるけれど、2人ともやたらと薬を飲んでいる。
このままではみんなおかしくなってしまう。。。そう思って、
病院に電話し、思い切って早めに横浜に戻りたいと相談しました。

こういうときは家族一緒に居ることが大事・・・と、先生も理解してくれて、
何かあったら電話で相談に乗るからと言って下さったので、
産後10日で横浜に戻ることにしました。
帰る直前に病院へ。おっぱいを止める薬を多めにもらいました。

横浜までは大量の荷物と共に父が車で送り届けてくれました。
車の中で私はずっとお骨を抱いていました。
8月に切迫のため里帰りしてから2ヶ月ぶりの我が家。
シュウちゃんを迎えるために購入したマイホームだったのにな。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。

膨らんだお腹で里帰りして、お腹はぺったんこなのに赤ちゃんはいなくて。。。
近所の人はどう思う?新聞屋さん、生協の人、妊娠を知ってる知り合い・・・、
なんて説明すれば良い?どう思われる?
すべてがむなしくて、悲しくて、この喪失感とどう向き合えばよい?
でも、私にはユウがいるのです。この子のために頑張るしかない。
毎日毎日ぐずぐず泣いてばかりはいられない。

でも、横浜に戻ってからは泣いてばかりいました。
昼間はユウのために泣かずに頑張って、夜はひたすら泣いて、
平日はそんな感じで頑張るけど、週末は口がきけなくなる。
私は本来はとってもおしゃべりなのに、話すこと、声を出すことが億劫になる。
パパは私たちが戻ったことで、だいぶ本来の明るさ&強さを取り戻してくれて、
週末はユウを私から離してくれました。

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2006.10.13 (Fri)  ☆ ユウと公園へ

この2ヶ月間とってもお世話になった公園へ、 久しぶりにユウと遊びに行ってきました。
この公園はとても広くて遊具も大きく、夏は噴水もあって、
さらに近くに線路があり電車も走っているので、
ユウのお気入りで、暇があればじぃじ・ ばぁば・おじちゃん・パパと通っていました。

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里帰り中、私が連れて来れたのはたった3回ぐらいだったけれど、
今日久々にユウと一緒に遊んでみて、
この夏の間にどれだけ成長していたのかを思い知らされ、 驚くやら嬉しいやら・・・。

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いつの間にか三輪車も自分でこげるようになっていたし、
来た頃怖がっていた遊具も簡単に登れるようになり、 本当にびっくりさせられました。
今日もとても良いお天気で、2時間ほど遊んで帰りました。

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2006.10.08 (Sun)  ☆ お葬式

この日は朝9時からシュウの火葬が「多摩斎場」で執り行われました。
私とパパとユウは、うちの車で向いました。
途中パパが、「帰りにシュウを乗せるから・・・」とガソリンスタンドで洗車を依頼。
本当だったら私とシュウが病院から退院する時に・・・なんて話ていたのに、
そこから涙が止まらなくなってしまいました。


斎場で富山から来てくれたパパのお父さん・お母さん、私の両親と合流。
赤ちゃんは小さくてお骨まで燃えてしまうから、なるべくお骨を残すために
朝一番の冷たいいちばん窯で焼くのだとか。。。
隣にもう1組、私たちと同じような家族構成の方たちがいました。
「赤ちゃんの死」・・・本当に悲しくて辛い現実。

5日に分娩室でお別れして、また棺の中のシュウと再会しました。
どんな状態になっているのか、いろいろ考えすぎて怖かったけれど、
そこにいたシュウは綺麗にお化粧をされているせいか、
病院で見たときより綺麗な姿で、本当に生きているようでした。
でも、触ったらコチコチに凍っていて・・・やっぱり亡くなってしまってるんだなと実感。
こんなに綺麗な姿なら、このまま傍に置いておきたい・・・そんなことも思いました。

担当の方に「写真を撮ってもいいですか?」と聞いたら、
「本当は駄目なんだけど、この場合は許されると思いますよ」とのこと。
こっそり撮らせてもらいました。

前日に買ったお花、パパと私からの手紙、家族写真、
パパが買ってきてくれた木のおもちゃ、
私が赤ちゃんの時に両親が奮発して買ったという・・・生きていたら着せたかったドレス、
みんなで泣きながら納めました。

ユウが「ママ泣かないで、よしよし」と、何度も頭を撫でてくれました。
ユウにはシュウのことを見せていないけれど、
何となく何か良くないことが起こったことは理解している様子。
ユウも固い顔をしていました。

それから30分ほど別室で待機。
「シュウちゃんは小さすぎるからお骨はたぶんそんなに残らないよ。
そのことにあまりショックをうけないようにね・・・」と両親から言われました。
でも、呼ばれて行って見たら、きちんとしっかりお骨は残っていました。
きっと丁寧に丁寧に焼いて下さったのでしょう。
担当の方が震えながら、骨の部分の説明をして下さり、
みんなで順番に骨壷に納めて行きました。

それからそのお骨を抱いて、パパが予約をしたお寿司屋さんへ。
パパはこの年齢で、自分の子どもの喪主になってしまいました。
「しっかり送ってやりたいから」・・・と、この日は泣きもせず、きびきび振舞っていました。

その席ではユウが一生懸命おちゃらけてくれて、みんなにも笑顔が。。。
私もシュウの死を知ってから初めて、まともにご飯が食べられました。
お骨は抱いたらちゃんと重くて、それに何だか少し暖かい感じも。。。
予想していたのとは全然違う姿になってしまったけれど、
それでも我が子が手元に戻ってきました。




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2006.10.07 (Sat)  ☆ 入院生活

シュウちゃんの火葬に私も参加できるように、
また、他の赤ちゃんの声などが聞こえる産院に長く居るのは辛いだろうから・・・、
という先生の配慮によって、私の産後の入院生活は2泊3日だけ。
新生児室から離れた部屋で、毎日の検診も他の人とは違う時間帯。
病院のスタッフの方たちは、本当にいろいろ気を遣ってくださり、
みんなとっても優しかったです。

睡眠薬を処方してもらったのに、飲んでも全く眠れず、
ご飯も全然受け付けなくて、泣いてばかりいました。
それでも気心知れた友人と電話で話したり、看護婦さんに話を聞いてもらったり、
人と話すことで気持ちの整理が出来ることも。
そして何よりも私の気持ちを癒してくれたのが、ユウのお見舞い。
ユウはまだ事態を正しくは把握出来ていないけれど、
私が悲しんでいることは十分分かっているようで、
子どもなりに精一杯おどけたりして笑わせてくれました。

入院中最も辛かったのは、赤ちゃんの泣き声より、
隣室へお見舞いに来た人たちの歓喜の声。
新しい命の誕生をみんなで喜び合っている状況が伝わってきて、
つくづく天国と地獄だな・・・と思い、落ち込みました。

10月7日無事退院。退院してすぐ、次の日の火葬の準備。
辛いけれど忙しくすることで気を紛らわせていました。

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2006.10.05 (Thu)  ☆ 朱優と過ごした時間

午後1時42分、陣痛がはじまってからたったの2時間16分で、
私たちの娘がこの世に出てきました。
体重2715グラム、身長49.7センチ、胸囲28.0センチ、頭囲31.0センチ。

パパが大泣きしながら赤ちゃんを抱いて部屋に入ってきました。
小さな口をポッカリ開けて、眠っているような小さな赤ちゃんの姿。
「ユウにそっくり!」まずそう思いました。
ほんのりお化粧をしてもらって、体にも暖かいものが巻かれていました。
抱っこをすると、生きているかのように暖かくて、
本当に今にも目を開いて泣き出すのではないか・・・何度もそう思いました。

パパと先生が確認した結果、へその緒が数箇所、
飴の包み紙のようによじれていたことが分かったそうです。
『臍帯過捻転』それがこの子の死因でした。
恐らく4日の朝、ねじれているへその緒をさらに自分で握ってしまったか、
膝の裏などで挟んでしまい、酸素が行かなくなったのではないかとのこと。
お昼に私が感じた胎動は、酸欠で苦しくて最後に暴れたもので、
決して元気なんかじゃなかった・・・。
可哀想で可哀想で、「ごめんね」を何度も言いました。
羊水にうんちなどがみられず、とってもきれいだったので、
そんなに苦しんだ様子はないと言われましたが、
4日の胎動の記憶が、いつまでも私を苦しめました。

その後スタッフの方がみんな出て行き、
パパと赤ちゃんと3人でしばらく過ごせることになりました。
赤ちゃんを私の隣に添い寝させて、写真をとったり話しかけたり・・・。
パパも私も泣きっぱなしだったけれど、でも、最悪な中でも幸せな時間でした。

名前は結婚した頃から、娘が出来たら「しゅう」と名付けようと決めていました。
姓名判断にこだわるパパの気持ちを尊重して、
散々考えた結果、「朱優」という漢字になりました。
絶対幸せになれる、完璧な画数のはずでした。
それなのに、どこにも記すことができない幻のような名前になってしまった。
戸籍に載せられない、このことが私たちの気持ちを一層悲しみに包みました。

午後7時頃、葬儀屋の担当の方が朱優をお迎えにきました。
本当に本当に小さな棺を持って・・・。
私とパパと私の父親が立会い、朱優を棺に納めました。
みんなでお祈りをした後、朱優は運ばれて行きました。
一緒に居られたのはたったの5時間ほどでした。

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2006.10.05 (Thu)  ☆ 出産

2006年10月5日、この日は朝から雨でとっても暗い日でした。
パパと2人で午前9時に病院に到着。すぐに体重や血圧の測定がありました。
体重が昨日の検診時より2キロも減っていて、
「赤ちゃんが死んじゃってその分体重が減っちゃったんだ・・・」と思い、
その瞬間悲しくてボロボロ泣いてしまいました。
その後先生から出産方法の説明があり、着替えて診察台へ。

まだ子宮口が全く開いていないので、まずは子宮口を開く処置をするとのこと。
ラミナリアを子宮口に詰めることになりました。
私は上の子の前に流産をしていて、その時にこの痛さを経験していたので、
先生が入れようとした瞬間、怖くて膝がガタガタ痙攣しはじめました。
先生と看護長さんが励ましてくれたけれど、痙攣は止まらず、
「こんな精神状態じゃ危ないから、いったん休憩しましょう」と言われました。
この時先生が内診をしたら、まだ何も入れていないのに
突然子宮口が自然に5センチまで開いてくれました。
「これならこのまま促進剤を点滴できるよ」ということで、
何もしないまま病室へ移動し、点滴を開始しました。

「ママが痛がりなのを知って、お腹の子が子宮口を開いてくれたね」
病室でパパとそんなことを話しているうちに、不思議と気持ちが落ち着きました。
とにかく今はもう頑張るしかない・・・!陣痛がつくまでに数時間~数日、
どれだけかかるかは予測できないと言われていましたが、
点滴開始から30分ぐらいでお腹が痛くなってきました。
それからどんどん感覚が狭まり、痛みも強くなりました。
「もうお腹の子が生きているか死んでいるかなんて関係ない、
私がこの子を産むんだ!!」
陣痛の痛みが余計なことを考えないようにしてくれているようでした。

途中葬儀屋さんの担当の方が打ち合わせに来て、パパが病室を出て行きました。
お腹の子の火葬の日取り、棺や骨壷の種類、そんなことを決めるのです。
でもその頃は陣痛もピークで、看護長さんに付き添われながら、
私はただひたすら痛みに耐えていました。
パパが出て行って30分もしないうちに分娩室に移動となりました。
ナースステーションにたくさんのスタッフの方が集まっているのが見えました。

分娩台にあがると、もう頭が見えてきてるとのこと。
でも、いきんでもいきんでも、赤ちゃんの力がないため空回りで、
まるで一人相撲をしているようでした。
それがとっても悲しくて、陣痛の合間はひたすら泣いていました。
先生が見かねて「お腹を押して赤ちゃんが出るのを手伝うね」と言いました。
その後はすごい力でお腹を押されて・・・「赤ちゃんが出ましたよ」との声。
私はひたすら耳をふさいで、なにも聞かない、気配も感じないようにしました。
赤ちゃんが泣かないことも、スタッフの方の様子も・・・、
本当にこの時は何も知りたくなかったのです。

先生が産後の処置をしながら、「大丈夫?今旦那さんに確認してもらうからね」
と言いました。私のことを本当に心配してくれている様子でした。
いったん出て行った先生が戻ってきて、
「赤ちゃんとってもきれいだよ。どうする?」と聞きました。
「どんな状態でも会いたいです。」自然にそう言っていました。
どんな状態でも、10ヶ月お腹にいて、痛い思いをして生んだ我が子。
絶対に会って抱っこしたい。いつの間にか恐怖心は吹っ飛んでいました。

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2006.10.04 (Wed)  ☆ 突然の死②

夕方パパが会社から駆けつけてきました。
パパはちょうど会議室に入ろうとしたところで私の電話を受けたとか。
上司たちの顔がみんな引きつるのを見て、
これは相当大変なことだと悟った・・・と後から話してくれました。

それからパパと一緒にまた病院へ行き、先生から詳しい説明を受けました。
赤ちゃんの心臓が止まってしまったということ。
恐らくへその緒のトラブルだと思われるが、
詳しい原因は実際に産んでから見てみないと分からないこと。
赤ちゃんが傷まないように、また母体のためにもなるべく早く産む必要があること。
この病院で産むことは可能だが解剖は出来ないので、
解剖を希望するなら大きな病院で産む必要があること。

解剖の件はすぐに結論が出なかったので、
いったん家に帰って相談してから、また病院に連絡を入れることになりました。
帰りのタクシーを待つ間、看護長さんがずっと隣で背中をさすってくれました。
「死んでいる子を普通に産むことなんて出来ません。
お腹を切って出して欲しい・・・」私が思わずそう言うと、
「産んで出してあげることは、ママがこの子にしてあげられる大事なこと。
痛い思いをして産むことで、気持ちの整理がつくこともあるわよ」と言われました。

家に帰ってから私の両親も含めて相談をしました。
詳しい原因を知りたい気持ちはあるけれど、上の子は普通に生まれているし、
何よりも小さな赤ちゃんに傷を付けるのは忍びない。
女の子だしきれいな体でお空に還そう・・・ということに決まりました。
私としても、切迫で入院しスタッフさんなどとも顔見知りのこの病院で産みたい、
この時だけ大病院で・・・というのは精神的に耐えられないと思っていたので、
すぐに先生に電話をし、翌日朝9時に入院の予約を取りました。

その夜は一睡も出来ませんでした。
正直に言うと、悲しい気持ちよりも恐怖心の方が勝っていました。
今お腹の中に死んでしまった赤ちゃんがいるという現実。
何を目標にしてお産の痛みに耐えたら良いのか・・・、
生まれた赤ちゃんが泣かないことに、自分の精神が耐えられるのか・・・。
考えれば考えるほど不安ばかりが大きくなって、
隣に眠る息子にすがり、ただ泣きながら一晩を過ごしました。

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2006.10.04 (Wed)  ☆ 突然の死①

2006年10月4日、この日は3時に38週の検診予約を入れていました。

早朝今までに感じたことのないような激しい胎動で目が覚めました。
ハッとしてお腹を触ると、いつも以上にお腹が前に突き出していて、
赤ちゃんの体のパーツが全て触れて分かるような感じでした。
「このままじゃ危ないよ、戻って戻って・・・」そういってお腹を撫でると、
静かに、でも明らかにお腹がひっこみました。

お昼ご飯を食べているとき、今度はお腹の中でバタバタ暴れている気配。
お腹を数回とても強く蹴られました。
「今日は何だか元気だね」思わず言ったのを覚えています。
その後は検診に行くためバタバタと過ごしました。
病院までは実家から歩いて15分のところにある駅で電車に乗り、
30分ほどで到着します。お産を早めるべく駅では階段を使うようにしました。

病院について、3時ぴったりに名前を呼ばれました。
先生が、「もういつ産んでもいいんだよ~」と笑いながら言いました。
切迫で入院中にお世話になった看護婦さんも側で笑っています。
もうすぐ赤ちゃんに会える・・・そこまでは、本当に幸せでした。
でも、ベッドに横になって超音波を当てた瞬間、「心臓が動いてない」。
先生がボソッとつぶやいた言葉に全身の血が凍った気がしました。
笑顔だった看護婦さんの顔も真っ青でした。
「だから何?そうは言っても何とかなるんでしょ」正直そう思いました。

でも、これまた切迫のときにお世話になった看護長さんが来て、
別室に案内されたときには勝手に涙が溢れてきて、全身がガタガタ震えました。
すぐにパパと、公園にユウと遊びに行っていた母に連絡。
母が公園からタクシーで駆けつけてきました。
パパが実家に到着したら、一緒にもう1度病院に来るように言われ、
いったん帰ることになりました。
受付のお姉さんが「本当に可哀想・・・」と泣きながら抱きしめてくれました。
でもこの頃はまだ赤ちゃんの死なんて全く信じてなかったし、
こんな話は到底受け入れられないと、心が頑なに拒否していました。

家に戻りまず、親しい友人に電話をしました。
ちょうど友人3人が集まっていました。
私の話を聞いてみんなが泣き出す様子を感じ、
これは大変なことなのだと初めて実感しました。



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2006.10.01 (Sun)  ☆ マタニティークラス

1人目の時は絶対に立ち会わない!と拒否してた旦那が、
周囲の立会い経験済みのパパたちの勧めもあって、
今回は是非立ち会ってみたいと言い出しました。
そこで昨日、産院のマタニティークラスに2人で参加してきました。
(これを受けないと立会いが出来ないのです。)

講習内容は入院からお産までの流れと、呼吸法が中心。
まずは実際のお産の様子をビデオで見せられました。
これがかなり古い映像で、モデルの妊婦さんがとっても優秀!
叫び声ひとつあげないのも何だか妙におかしくて、
私と旦那は笑いを堪えながら観てました。
でも、赤ちゃんが出てくるところはやはりとても感動!

ところがその後、なんと産後に出てきた胎盤までもが
映し出されたのです!!!血が全くだめな私はすぐに目を背けたけど、
真っ赤なものが一瞬目に飛び込んできて、
その後かなりグロッキーでした。普通胎盤は見せられないよな・・・。

呼吸法の練習では、そこにいた誰よりも大きな声で
はりきってやってる旦那の姿がとても恥ずかしかったです。

そしてとってもショックだったのが、出産の時もし面会時間外だったら、
旦那意外は院内立ち入り禁止・・・ということが判明。
もし旦那が間に合わない場合は、
完全にひとりぼっちで頑張らなくちゃいけないようです・・・。
個人病院だとこれが普通なのかな・・・?

前回の出産を思い出したりして、帰りの車では少々お腹が痛くなりました。
うーん、こうなったら何が何でも旦那に来てもらわないと!
とりあえず、これからしばらくの間は禁酒を命じました。

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